沖縄地下音楽 Vol.001
2023/09/01 発行
Message
ごあいさつ
沖縄のローカルシーンを広く知っていただきたいという想いから、『沖縄地下音楽-OKINAWA UNDER GROUND』と題して、WEBマガジンを創刊させていただきました。
創刊にあたり、多くの助力をいただいた皆様に心から感謝いたします!
創刊号VOL.1では、2023年7月30日に沖縄県那覇市の2会場、桜坂セントラル・那覇OUTPUTで開催された、入場無料のライブサーキット『超来来謝謝(スーパー・ライライ・シェーシェー)』の話題を中心にお贈りいたします。
編集長:ウッチー
Column
コラム『来来謝謝という波(来来謝謝の歩んだ1年をみて)』
コラム:いっちょむ
絵や文を書いて生きてるひと。
沖縄県出身。
好きなものはライブとひじきの煮物。
その波は貴方の足下まで来ている。
7月30日、超来来謝謝でフィナーレを飾ったワンチャイコネクションのギターボーカル、カズユキ(カーズー)は最後にこう締めくくった。
「これからもカッコいいバンドしか出しません」
それは来来謝謝を1年通して見てきた、私を含めた全ての人々に取っては当然のように受け取っただろう。
その言葉に何の疑念も抱かないほどに、彼らが、ワンチャイコネクションがこのイベントに掛けた情熱を信頼しているのだから。
もちろん、すぐに信頼が築かれた訳ではない。
そこへ辿り着くまでの、一筋縄ではいかない道筋がある。
来来謝謝は2022年の7月10日に始まり、2ヶ月置きに開催された。
第1回目の出演者も沖縄を牽引していると言っても過言ではないバンドが集められ、私はその豪華さに驚いた。そのうえドリンク代がかかるとはいえ、入場料フリー。
私は正直、ライブハウスが人で溢れかえると思っていた。日曜日の昼の時間帯、会場時間ピッタリにライブハウスの入口を潜るときまでは。
胸を高鳴らせる私を迎えたのは、ガランとした客席。私を数えても2〜3人しか居ないフロア。
その日はたまたま1番手のバンドの出演が急遽キャンセルとなったことも影響していたが、私は呆気に取られた。
こんなに素晴らしいバンドが集まったというのにどうして誰も居ないのか?という疑問が脳裏を駆け巡る。
実際ライブは素晴らしかった。
個性派揃いの、けして似ていない彼らの演奏に私は満たされ、このイベントは必ず行こうと心に決めた程だった。
しかし、脳裏に張り付いた疑問と私の対峙はそれからも続くこととなる。
それからも来来謝謝は行われたが、正直なところ客足は鈍かった。
開始直後からフロアに人が居ることは少なく、後半に少し増える程度といった印象で、輝かしいステージの反面、フロアは空いていた。
第3回のとき、SNSで話題になったバンドが出演したとき一瞬フロアが埋まったが、そのバンドが終わるや否や、またフロアから人が引いてしまう。
ただの客でしかない私ではあるが、それが歯痒かった。けしてこのイベントは玉石混淆ではなく、どのバンドも外れがないということを知るものの少なさを嘆いたりもした。
だが、変化は起きた。
第4回のとき、フロアの最前列に、お年を召した男性が立っていた。ライブハウスではあまり見ない年齢層なのでなんとなく目についていた。
私の想像ではあるが、入場無料だからという軽い気持ちで立ち入ったかもしれない場で、酒を煽りながらステージを眺めていた彼だったが、unripeのステージが終わるや否や、私に近づき、声をかけてきた。
「今のバンドは、なんて名前?」
私がフライヤーを見せながらunripeだと教えると、彼は胸ポケットから手帳を出した。そして丁寧に文字を書き記す。
「ありがとう」
大切そうに手帳をしまった彼との会話はそれだけだったが、終演後に帰っていく背中を見た。最後まで楽しんだようだった。
それは私が来来謝謝でもっとも期待していた連鎖反応である。
キッカケは何であっても構わないのだ。音楽で無くても、酒を飲みに来ただけだったとしてもだ。奏でられた音を聴けば、出ているバンドを見さえすればその魅力が分かる。たとえそれが自分の知らない音楽だったとしても。
それで来来謝謝の趣旨は自ずと伝わるはずなのだから。
物事はすぐに思い通りの結果が出ることが少ない。
だが、初めに起こした波がどれだけ小さかったとしても、それが砂浜に辿り着くように、いつかは誰かに届く。来来謝謝は届けることを辞めなかった。その素晴らしい音楽を、彼らがカッコいいと信じる者と観客を繋ぎ続けた。
そして1年後の超来来謝謝を迎えた。
ガラ空きだったフロアが嘘のように埋まっている。しかも2会場。そのどちらもだ。
トリを務めたワンチャイコネクションの時には身体がぶつかり合うほどに、人々が押し合いながら、そして誰もが笑っていた。
これだけの破顔をライブハウスで見たのはいつぶりだったか。一瞬だけ懐かしんだが、その気持ちが消し飛ぶようなイマがステージで行われている。
来来謝謝が見せたかったもの全てが、そこに揃っていた。
来来謝謝は年内は休止期間に入るが、これからも止まることはないだろう。
これからも彼らが信頼したバンドだけを送り出し続けるからこそ、観客と来来謝謝との信頼関係が深く繋がれ続けてゆく。
そしてそれは波及していく。
波及していかないことがあるとしたら、それはこのムーブメントを知らずにのうのうと日常を過ごし続けている、メディアだとかの…つまりはダサい輩のせいである。
「カッコいいバンド」の定義も分からない輩達と仲良くする必要は私には微塵も無い。
魅力のある、県内の実力派バンドだけを選出し続けた来来謝謝。
その波はどこへ向かうのか。県外か。いつしか海外までも辿り着くかもしれない。
それでも波に乗れないという人間は、浜辺で体育座りでもして待っていてほしい。
やがて現れた音の大波に飲まれたときに漸く、このライブの意味に気付けばいい。
ダサい輩と後の祭りを楽しめばいい。
「カッコいいバンド」を何ひとつ知らぬままに。
好了、拜拜。再見。
2023/07/30 超来来謝謝(桜坂セントラル&那覇OUTPUT)
コラム by いっちょむ
https://www.instagram.com/icm_icm_/写真 by DAITAKU
https://www.instagram.com/daitaku69/
About lai lai xie xie
来来謝謝について
2022年7月10日から、ワンチャイコネクション主催でスタートした入場無料のライブイベント。
初回から2023年7月30日の締めくくり、『超来来謝謝』までの出演アーチスト数は38組!
その全てがノーギャラでの協力で成り立ってきました。
会場には『投げ銭箱』が設置され、ご来場いただいたお客さまたちの心からのカンパは、一部駐車場代などを除く全てが、参加バンドに分配されました。
このコーナーでは、来来謝謝の今までの配布フライヤーと出演バンドをご紹介いたします。
来来謝謝VOL.1 – VOL.7(超来来謝謝) 出演アーチスト
(2022/7/10〜2023/7/30)ワンチャイコネクション
ペナンガラン・ボーイフレンド
七騒ユーレイ
メカルジン
煖臍
owlgall
NEED LEAD USER
THE STRAYMAN
AKKANBABYS
BUMBA
SOLVALS
虐げられた民
こころとことば
紅茶フーフー
unripe
MILK&COOKIE
HOME
奢る舞けん茜
シシノオドシ
Royal Pine
teora
HARAHELLS
Home Party People
かんかんれもんちー
The red snakes
THE BARCOX
春ねむり
MALCOENDE
090
B.5.P
オモイトランス
踊ROCK:DJ(亮哉・もんつう)
ケンゴリアンズ
トリックスターグーニーズ
aieum
caino
SHOCKING桃色
HELL型
Live Report
ライブレポート『メカルジン』by うっちー
みんな大好き『メカルジン』のライブレポートを2回にわたり、先攻うっちー vs 後攻いっちょむ(次号掲載)の対戦形式(??)でお贈りします。
メカルジン愛に溢れすぎな二人のライブレポート、楽しんでもらえたら嬉しいです!
ライブレポート:うっちー
『沖縄地下音楽』編集長・久米ABD RECORD’S BAR オーナー。
神奈川県横浜市出身。
タバコはアメスピの黄箱。
いつものライブハウス、いつもとは違って満杯のお客さん。
最前列の柵に手をかけて、3本のギターがかき鳴らされる爆音の中、マイクに齧り付くようにして声を張り上げる男を見上げている。
どんな爆音の中でも聴き取れる独特な歌声は耳をつんざくギターを縫って頭の中に鳴り響く。
この人の声はバーの喧騒の中でも、ずっと遠くからでも、低くても高くても、なぜか頭の中に響く。
昔読んだ浅田次郎の『天切り松』で語られる『闇がたり』の声色ってこんな声なのかもしれない。
声を、歌を届けたい。
そんな気持ちが長い年月をかけて、この声色を作り上げたのかもしれない。
『今日は嬉しいから、こんな曲、歌っちゃいます。』
短いMCの後に、ぽろりぽろりとギターを弾き始めるメカルジン。
歪みの中いると心地良いから
僕ら今でもここで
音圧に酔いしれている
あーあ、あー、ギターライトニング
古びたGuitarのしらべ。
どこまで届いているか
わからないけど、、、
って歌うんだけどさぁ。
もうド真ん中撃ち抜かれちゃってるんだよ!
身体中に、この声が届きすぎちゃってんだよ。ジンさんよぉ。
ベース、ドラム、2本のギターがドカンと押してくる。
それでもド真ん中を撃ち抜き続ける、その歌声。
オレの涙腺は1コーラスともたずに崩壊。
俺だってバンドメンだ。商売敵の音楽に涙を流すなんてことは自分に禁じているんだけど。
人の歌声に心を打たれて涙を流すって、これほど気持ちのいいことはないって、オレが一番よく知ってもいるんだよ。
嫌なことを忘れたくて爆音のライブハウスに避難していたら、いつの間にか周りの奴らと踊り狂っていたりして。
もう何を忘れたかったんだか忘れちゃって、同じような奴らと車座になって笑い合ってたりしたもんだった。
そんな若かりし頃の自分に教えてやりたい。
お前は50を過ぎてもライブハウスで仲間と笑い転げてるんだぜ。
それって最高な人生じゃん?
メカルジンの歌声が、これを書いている今でも頭の中に鳴り響く。
心地よい歪みの中にいて、冷えたビールと音圧に酔いしれている。(終)
2023/07/30 メカルジン@超来来謝謝(桜坂セントラル)
レポート by うっちー
写真 by DAITAKU
https://www.instagram.com/daitaku69/メカルジン公式WEBサイト
https://mekarujin.ti-da.net/次回VOL.2では後攻いっちょむバージョンのライブレポートです!お楽しみに!
Live Report
ライブレポート『虐げられた民』
ライブレポート:いっちょむ
絵や文を書いて生きてるひと。
沖縄県出身。
好きなものはライブとひじきの煮物。
コンクリートの輻射熱が熱い。
その日カンカン照りを反射して逃げ水を滲ませる路上を、私は馬鹿のように駆けていた。
超来来謝謝。
桜坂セントラルで彼らの演奏が始まるからだ。
なんとか入口まで辿り着いたときにはもう、そこからでも人々の歓声が耳に入ってくる。
慌てて扉を開けると、最後尾からでもステージライトに照らし出されたシルエットを確認できた。
桜坂セントラルの赤い背景に浮かぶ5つの影。
その景色に息を飲んだから、今思えばその時にはもう彼らの世界に踏み込んでいたのかもしれない。
虐げられた民がそのステージには居た。
1曲目は聴くことが出来なかったが、それを残念に思う暇もなく次の曲が始まる。
何かの始まりを予感させるような、穏やかなベース。それに景色を色付かせるギターフレーズが、ドラムが続いていく。
「寿司屋の気が触れないように」である。
その曲は自然と耳元までやってきて、私の鼓膜と心を揺さぶる。
観客たちが自然に前方に吸い寄せられていくのが見える。
ボーカルを務めるTaix2のステージングにも目を惹かれる。
ラッパーでもある彼の歌声や独特の立ち振る舞いは、観る者たちを高揚させるだけの力がある。
実際に私もその歌声に焚き付けれて、いつの間にやら人波を掻き分け、最前列まで歩みを進める。
彼らの音の世界にもっと近付きたくて、足が自然と動く。馬鹿みたいに走ってヨロヨロになった足が、嘘のように軽い。
他の観客と同様に体がそのメロディーを追って揺れる。何度もステップを踏む。
数曲を挟んで「サイレント・モノクローム」が始まった頃には、フロアが波のようにうねっていた。
始まりはミドルテンポだが、次第にボルテージが高まるその楽曲で、観客たちの心拍数がさらに速くなっていったのは確実だ。
その証拠に歓声が上がり、皆がその音色に身を委ねている。
もう心も体も彼らに預けてしまっている。
まるでハーメルンの笛吹きの子供たちのように、観客は虐げられた民が奏でる音色に、彼らの音の世界へ引き摺り込まれてしまった。
こちらへようこそ。
そんな挨拶の代わりに畳み掛けるように「Ragga」が紡がれる。
歓迎する彼らの演奏にも一気に熱が篭る。
シーケンサーを操るC-LINEがガッツポーズする様が見えた。
赤いステージライトを浴びながら、彼らは重低音を響かせて我々を歓迎する。
足下から伝わってくるその音の熱量は、先程駆け抜けたコンクリートの輻射熱にも劣らない。
その熱に溶かされるように汗が噴き出して、気付いたときには私の瞳から涙まで噴き出していた。
自身の体であるはずなのに、彼らの、虐げられた民の世界に入り込んでしまったら最後、自分をコントロールすることが不可能になってしまう。
だが、それに動揺している暇すらも許されない。
あっという間に最後の曲が始まった。
イントロですぐに判別できるほど聴き込んだその曲に、私の涙は止むことを忘れる。
「ENDING ALL」が流れ出す。
「俺ごときの人間がお前の世界を変えたいんだよ、俺ごときの人間が自分の世界を変えたいんだよ」
虐げられた民はその音色で実際に彼らの世界を作り上げ、このフロアの世界を変えることに成功していた。
桜坂セントラルのフロアを、その奏でる音色で歌声で支配し、聴く者の心を変えたのだ。
要するに、私の心もすっかり変えてしまったのだ。
こんな人前で泣いてしまうような、みっともない姿に変えてしまったのであった。
虐げられた民がステージを去った後、私は鼻を啜りながら桜坂セントラルを出た。
外は未だに暑く、路面に少し傾いた陽が反射している。
潤んだ瞳に映る国際通りが眩しい。
見える景色がいつもと違うように思う。
それはもしかしたら彼らの、虐げられた民によって変えられた心から、その世界から見える景色なのかもしれない。
その音を体感した者だけが見える、色鮮やかな景色。この眩さ。
貴方もいかがですか?
2023/07/30 虐げられた民@超来来謝謝(桜坂セントラル)
レポート by いっちょむ
https://www.instagram.com/icm_icm_/写真 by DAITAKU
https://www.instagram.com/daitaku69/虐げられた民・公式HP
https://shiitami.abd-records.com/
Interview
ロングインタビュー『ワンチャイコネクション』前編
今や沖縄・那覇を代表するライブバンドでもあり、沖縄の音楽シーンに大きなうねりを生み出しつつあるライブイベント・来来謝謝の主催でもある『ワンチャイコネクション』に、バンド結成から今に至るエピソードの数々や、『来来謝謝』にかける熱い想いについて、存分に語ってもらいました!
VOL.1(前編)では、ワンチャイコネクションというバンドの在り方というのでしょうか?
その活動姿勢やルーツについて語り合いました。それにしても皆よく飲むよね。
ワンチャイコネクションの名前の由来は、ワゴンセールで投げ売りされてた胡散臭いゲームソフトから
いっちょむ:ワンチャイコネクションの名前の由来を教えてもらえますか?
カーズー:単純にインパクトがある、ダサい名前にしたかった。
で、候補が二つあって、ワンチャイコネクションとビッグシティ。
ゴヤさんに、どっちがいい?って聞いたら、ビッグシティは絶対に嫌だって。
カーズー:これ(ゲームソフト=ワンチャイコネクション)って、セガサターンってゲーム機が出た時にヴァーチャファイターと、ワンチャイコネクションって同時に発売されたんですけど、(90年代中半〜後半)当時は、どこの中古屋とか行っても、ワゴンセールで投げ売りされてて、これ、表紙見てもらったらわかるんですけど、あまりにもなんか胡散臭いっていうか・・・
一同:ハハハ(笑)
いっちょむ:・・・そうですねぇ。
一同:ハハハ(苦笑)
いっちょむ:そうですねぇ。っていうか、よくわかんないですけど・・・
カーズー:でも、胡散臭いし、絶対面白くないだろうなってのと、絶対買わねえな。でどこ行っても売ってる。ワゴンセールにある。
でも、セガサターンの話した時、僕の周りでは絶対ワンチャイコネクションって出てきたんですよ子供の頃。当時ね。
こんなに胡散臭くて、絶対面白くなさそうなのに、なんかもう記憶に鮮烈に残ってて、ワンチャイコネクションって。
で、いつかこれを何かでイジりたいって思ってて。昔から。
いっちょむ:イジるために自分たちのバンド名に?
カーズー:そうそうそう(笑)そういうことです。
で、それを名前にしてしまおうと。
いっちょむ:そのときに他のメンバーは?もうゴヤさんにだけ聞いて決めたんですか?
カーズー:その時はまだバンドが始動する前で。ショーゴさんと、ゴヤさんに手伝って欲しいって言っていて。
あー、ライブが先に決まってたんですよ。で、しかも絶対外せないライブだったから。
もう絶対バンドやらないといけないと・・・
ちょっと話を戻すと、一発だけの企画バンドのつもりだったから。
だから、もう了解とるのはこんなもんでいいかなって。ジャブ打つ感じで。
世界のGOYA(以下ゴヤ):・・・こんなに続いたね。(ため息混じり)
いっちょむ:6年目ですよね?
カーズー:6年目、、、ですね。一番最初は英語表記だったんですよ。
いっちょむ:私の記憶が正しかったらなんですけど、Remy’s(沖縄市・コザのライブハウス)でみたんですよ。
カーズー:あぁ、そうそうそう。
いっちょむ:Remy’sでそのチラシ見たことあるんですよ。Remy’sだから英語表記なのかな?って思ったんですけど。
カーズー:最初に、Remy’sでやった時には英語表記でフライヤ作る人にもお願いしたんですけど、なんかカタカナのが良いかなってなって。
ワンチャイの曲って、フレーズはキャッチーなんですけど、曲のつなぎ目がすごく変だったりするので、リズムは結構苦労しますね。
いっちょむ:ワンチャイの作詞作曲って、どなたがされてるんですか?
カーズー:基本的に曲の元は僕が作ってきて、歌詞は、自分が歌うとことか絶対外せないってところはは自分が書いて。
メロディとか、ゴヤさんが歌うところはゴヤさんに書いてもらって。ちょっと違うな?ってところはなおしてもらって。
で、大元はあって、それぞれのフレーズとかは各メンバーにスタジオで演奏しながらつくってもらって。
ここだけは絶対必要だなってところは、こう弾いてとかお願いして。
いっちょむ:逆にメンバーのアイデアからできた曲とかフレーズとか、そういうのもあるんですか?
カーズー:えっとねー。Bagworm(ワンチャイの楽曲)の1番やって2番やって、間奏が終わって最後に歌が入ってくるところに、イントロで使ってるフレーズが入って、そこからサビに入るんですけど、それはアユムのアイデア。
アユム:繋ぎ方めっちゃ苦労して、色々ためしてみて、これやってみません?って決まったのがアレっすね。
カーズー:あとは、Wreck Age(ワンチャイの楽曲)の原型はゴヤさんがもってきたかな。
いっちょむ:Bagwormのあの最後のところは発明だなってくらい。
アユム:あれ、演ってる側も超楽しいんですよ。
カーズー:(Bagwormは)苦労したね。
アユム:ワンチャイの曲って、フレーズはキャッチーなんですけど、曲のつなぎ目がすごく変だったりするので、リズムは結構苦労しますね。
いっちょむ:私も聴いてていつも、アユムさん大変そうだなって・・・
一同:笑
アユム:体力的な問題もだいぶあります。激しい曲と、連打が多いので。
一同:あはは笑。みんな大丈夫じゃないって!
ショーゴ・アユム・ゴヤ:曲によって疲れ具合違うだけでみんな疲れてる。(苦笑)
恋するルンペンの町・開南から来ました!ワンチャイコネクションですー。
ウッチー:(ライブの冒頭で)『開南から来ました!ワンチャイコネクションですー。』って、アレ嘘じゃんね?
※メンバーは那覇の他のエリア在住。
いっちょむ:あはは、開南から来てない??
カーズー:言ったじゃない前に(笑)
このSHOSA BAR(インタビュー場所・現在はSSBに改名)って、(結成当時は)開南にあったんですよ。
神里原(カンザトバルという飲み屋街)の前に。
で、SHOSA BARで飲んでた友達の集まりで組んだバンドだから、『開南から来ました!』って。
アユム:しかも厳密にいうと開南って地名ではないんすよね。
カーズー:そんな地名はない!
ゴヤ:バス停が『開南』だからいいよ。開南バス停から我々来ましたよ?
一同:あはは笑
カーズー:ここで生まれましたよ。バス停でね。
頭ん中でやりたいのは、札幌のハードコアとシブガキ隊とかを掛け合わせたい。
いっちょむ:ワンチャイメンバーの皆さんが好きな、影響された音楽について教えてもらえますか?
カーズー:じゃ僕から。
子供の頃から、音楽番組が好きで。特報歌の大辞典だったかな?昔のヒットチャート19〇〇年のトップ10と、今週のトップ10比べるみたいな番組。
徳光和夫が司会して。
それで80年代とかの歌謡曲観るのが好きで・・・シブガキ隊とか、イモキントリオとか。
ああいうのが好きで、バックボーンというのは、そこにあり・・・
その後は普通に小学校中学校で流行ってるのきいていて、中学の時にFMラジオの、NHKのミュージックスクエアってのでいろんな音楽流れてるから日本のバンドのロック聴くようになって、HI STANDARDに出会うんですよ。当時ではAIR JAM系って言われるような。
そっから、イースタンユースとか、ブラッドサースティブッチャーズとか。カウパーズとか。
いっちょむ:ふんふん
カーズー:で、色々聴いてきて、一番肌にあったのが、当時の札幌のハードコア。
それが一番見に染みたんで。
頭ん中でやりたいのは、札幌のハードコアとシブガキ隊とかを掛け合わせたい。
シブガキ隊のアレンジってすごいおかしいんですよ。
聴いてもらったらわかるんですけど。
それをどうにかしたいって、やってるのが今です。
パンクですかね。基本は。
いっちょむ:こないだ、(ワンチャイと一緒に)大阪に行った時に、私がイースタンユース大好きで、ワンチャイ観に来たって、大阪のお客さんに話したら、『全然ちがうじゃん』っていわれたなぁ。
一同:あはは笑
いっちょむ:ワンチャイの根底にある、いろいろなものが混ざってる感じが、私の中では(イースタンユース)に近くて。
一同:ありがたいですね。
なんかステージ降りないと、心配されるんですよ。『今日降りないの?』って。
いっちょむ:ゴヤさんはどうですか?
ゴヤ:自分は4つ上の兄貴がいて、奴が90年代J-POPのCDをいっぱい聴いてたんですよ。
チャゲアスとか、ミスチルとか、あと何聴いたかな?B’zとか。
そういうの聴いて、で、僕実家が金持ちだったんで。あんまうるさい音楽聴けなかったんですよ。厳しくて。
学生時代はロックは全く聴いてなくて。
で、金持ちのおかげでケーブルテレビを家に引いてもらい、MTVってのに出会い。
ヒップホップにめちゃハマったんですよ。学生時代ヒップホップ流行ってたんで。
で、専門学校で福岡行ったんですよ。
福岡のCD屋の兄ちゃんが、これ面白いよぉーってくれたのが、ルースターズの1stアルバムだったんです。
んで、めっちゃ面白いなって思って、そっからミッシェル(ガンエレファント)とかキンブラ(キング・ブラザーズ)とか。
あ、あと、『1LDK(沖縄・那覇のローカルバンド)』っていうバンドがめっちゃ良くて。
一同:だははは。(沸く)
ゴヤ:ステージングはもう、完全に1LDKの影響ですね。下田さん(1LDKリーダー)の影響です。
カーズー:あはは、そうなんだ(笑)
ゴヤ:いやー、なんでもありなんだなって(笑)。なんでもアリっていうか、衝撃はデカかったですね。
いっちょむ:あの前に出ていくっていう(ステージングの)スタイルは1LDKから来ているんですか?
ゴヤ:きてない・・・
一同:きてないんだ(爆笑)
カーズー:下田さんは、俺は前に出るやつは嫌いって言ってますよ。
一同:爆笑
カーズー:最初のきっかけはRemy’sのライブだよね?
ゴヤ:そうRemy’sで、下行くか?って。
なんかステージ降りないと、心配されるんですよ。『今日降りないの?』って。あはは(笑)。
カーズー:降りない方がいいって言われたこともありましたね。ここぞっていう時だけ降りた方がいいよって言われたんですけど。
じゃどうしようってなった時に、いや、ギターウルフは寝る時もサングラスかけてるんだよ!って。
いつもやった方がいいだろ!っていって、いつも降りてるの。
カーズー:まあ、、、ヒップホップから福岡行って、、、
ゴヤ:行って、ルースターズに出会い、それから、ロックンロールに目覚め、十九とか二十歳のころに目覚め、その時たまたま友達が、電子楽器とかサンプラーとか触れる奴がいて、ギター弾くから一緒にやらん?っていってきて一緒にやってたんだけど、彼が、曲は作れるんだけど歌詞が書けないっていうので、それから作詞を続けてます。歌詞は影響受けた人は、中島みゆきと、、、だれかな?
詩は、曲聴いてからこんな感じかなって、イメージして書いて。メンバーの意見も聞きながら直したりするから、メンバーに一番受けてると思う(笑)
15、6歳で習ったものがこの歳まで続いてるってことが、驚きでもあるんですけど。
いっちょむ:アユムさんはどんな音楽から?
アユム:俺、初めて買ったCDが、キンキキッズの硝子の少年なんですよ。
カーズー:ああ良い曲
アユム:多分俺、ずっと王道ばっか通ってて。小5ぐらいで硝子の少年買って、中学の頃は学校で流れてたリップスライムとかポルノグラフィティとかあのへんが流れてた。高校生の時に軽音部に入ったんですよね。
んで入った時に、グリーンデイってのがあるよって。そんなんやってたバンドはいってて。で高1高2の頃ずっと聴いてたのがリンキンパーク。
そっから3年生の時に、軽音に入ってなくてギターやってた奴がいたんですよ。そいつがメロコアがものすごく好きで。
そいつにハイスタ、HAWAIIAN6、OVER ARM THROW、Northern19とか教えてもらった時に『バチーン!』ってハマって。
めちゃめちゃ聴いてて、メロコアバンドって一瞬やったんだけど全然続かず・・・
いっちょむ:じゃあメロコアから今の感じに繋がってる?
アユム:俺多分、自分は音楽にあんまり造詣深くないってわかっていて、音楽は好きなんですけど、一つのバンドを掘り下げて、どこどこの誰々さんかっこいいとかなくて。
地元のライブシーン・バンドシーン。それを聴くのが好きで。ライブを観て、それを聴くのが好きで。
楽曲が好きっていうより、バンドをやってるのが好きなんです。
最近はもうローカルバンドしか聴いてないですねー。
いっちょむ:ドラムはどんなきっかけで始めたんですか?
アユム:小さい頃キリスト教の教会に通っていて、そこにドラムもベースもギターもピアノもキーボートもあったんですよ。
そんなかで、ドラムがかっこいいよねーって、観ていたら、たまたま教えてくれる大人がいて、8ビートを教えてもらって。
高校1年の入学式で、当時中学から一人でその高校上がったから、友達いなくて。
自己紹介でギターやってます!軽音部入ります!って言ってた奴がいて、なんとか友達作るきっかけをって思って、俺ドラム8ビートとか叩けるよーって行ったら、そっから軽音部に捕まって。。。そっからズーッとバンドやってるって流れになりますね。
これやろう、あれやろうとかじゃなくて。『あったから』。でも今思えばすげぇ感謝してるんですけど。
15、6歳で習ったものがこの歳まで続いてるってことが、驚きでもあるんですけど。
A面B面のカセットテープ60分使って、めっちゃいっぱい入ってるやつあって、それをずっと聴いてて5歳の時は。親父のスカイラインの中でね。
いっちょむ:ショーゴさんはどんな音楽を聴いて育ったんですか?
ショーゴ:幼い時に、父親の車の中で、昭和アニソン。うる星やつらとかアラレちゃんとか、ガゾリンスタンドで売ってた・・・
一同:あぁーーー!(沸く)
ショーゴ:A面B面のカセットテープ60分使って、めっちゃいっぱい入ってるやつあって、それをずっと聴いてて5歳の時は。親父のスカイラインの中でね。
一同:親父スカイライン!(沸く)
ショーゴ:・・・スカイラインの中で聴いてて、小学校4、5年くらいになると、アイドルブームで光GENJIとか聴いてて、それもあっさり終わって。
中学校なるとバンドブームで友達でも楽器やってる奴いっぱいいたからユニコーンとか。
でもその辺じゃなくて、もっとかっこいいのないかな?って思ってたら、エックスとか、ルナシーとか奇抜なのが目に入って、ヤンキーにはなれないままだけど、この辺は違うかっこよさがあるなあって、めっちゃハマって聴いてて。友達とかはブルーハーツが好きだ、BOØWYが好きだとか言ってて。J-POPとかのバンド聴いてて、そんときハードロックとか。
モトリークルーとかガンズとか聴き出して。洋楽も聴いていたけど。そのあとでビジュアル系とか聴かなくなった頃に、マッドカプセルマーケットとか、あの辺は深く聴いて。
レイジとかミクスチャー系のラウドロックを色々聴いてたかなぁ。まあ光GENJIが元です。
いっちょむ:ベースはどのタイミングで始めたの?
ショーゴ:従兄弟が、歳の離れた従兄弟がバンドでベースやってて、家にごついアンプとかあって。
それ勝手に触って。最初はギターやろうとしたけど、あまりにも細かすぎて断念して。ベースを。
ベースなら弦の数が少ないからギターより簡単かなぁって。
ウッチー:簡単にかっこよくなりたかった?
ショーゴ:努力せずに(笑)。で、従兄弟に教えてもらって。
カーズー:俺は最初ベースなんですよ。漫画の影響で。姉ちゃんが読んでた少女漫画で、「HIPにロリポップ」っていう。
一同:あぁーーー!(沸く)
カーズー:ベースのが長いしかっこいい。あとひねくれてたんで、みんなが選ぶものは選びたくなくてベースにいったってのもありますねぇ。
(カーズーは別のハードコアバンドDEAD YAKISOBA NOODLESでは現在もベース担当。)
中学くらいからは、みんなが聴いてる音楽も聴きたくないから、テレビとかもお笑いとかも。だから深夜テレビばっかり。
一つのきっかけとして、深夜テレビで『J-ROCKトップ50』ってKBS京都の深夜番組をやってて。それで色々知ったってのもある。横道坊主とか筋肉少女帯とかモッズとか、ハイスタも流れてた。筋肉少女帯はさっき話してなかったけど、精神的には影響でかいですね。小学校2年の時に夢に大槻ケンヂがでてきて、『俺はケンヂ〜』って言いながら、スキップしてる夢を見たんですよ。それからすごい気になってて。最初は小説から入ったんですよ。それから音楽も聴くようになって。
ハイスタ聞きながら筋少。
みんな。パーマネントのバンドっていうか、こんなまとまった活動ができるバンド、できてなかったんですよ。
やりたい気持ちはあるけど、それが叶わなかった。
いっちょむ:ワンチャイのライブ本数の多さについて聞きたいんですけど。お声がかかるのか、自分たちで企画してるのか?
カーズー:あー、基本的には、ありがたいことに呼んでもらえてます。
だから、3年目、4年目くらいまでは、ほぼ企画はやっていない。
ゴヤ:そうだねー。
カーズー:だから一発目ライブやった後に、これでもう終わるかなって思ってたの。
二人とも別のバンドやってたし。で、もうおーわり。ってなった時に、七騒ユーレイ(沖縄の老舗サイコビリーバンド)が誘ってくれて。
これ、また一本できるなって思って。その時はアユムは都合つかなかったから下田さん(1LDK)が叩いてくれたんです。
で、その後に桜坂セントラルのいっせーさんに誘ってもらったんです。その時にアユムが体空いてたから加入してもらって、今の形になって。
最初の頃は、2ヶ月3ヶ月に一本とか話がもらえたら良い方だったんです。
ノルマを払って、ブッキングライブに出たこともあったし。そういうのをやってるうちに、きっかけってのがあって。
ライブの映像を友達が撮ってくれて、YOUTUBEにのっけたら、それを所作バーで流してくれて。
それをメカルジン(沖縄のギターロックバンド)さんが『ぶっちぎりだな!』って観てくれて。
メカルジン主催の『メカデリックカーニバル』に呼んでくれたんです。そっから(ライブが)増え出したかもしれない。
ゴヤ:んー。確かに確かに。
カーズー:そっから増えてって、3ヶ月に1本だったのが月1とか増えていって。ワンチャイコネクションて何?って言われるようになっていって。
OUTPUT(那覇・牧志のライブハウス。当時は久米)の上江洲さんが、BILLIE IDLEくるけど、一緒にやる?って声かけてくれて。俺がファンだったから。
そっから県外の人と結構やるようになったんですよね。そっからバーって増えてって。最初の頃は来る話全部受けてて(笑)
その結果今みたいな形になったんですけど。
いっちょむ:毎週ライブある時もありましたよね?
カーズー:ありましたね。三日連続とか。
ゴヤ:去年がやばかったね。
カーズー:きたものは全部受けようってしてたんですけど。今は、これでもセーブしてますけど、ありがたいことに、たくさんライブできています。
ゴヤ:ありがたいですね。
ウッチー:やっぱりさ、昼間仕事したりとか。暮らしていかなきゃいけないっていう制約は(それぞれのメンバーには)あるわけじゃない?
そこを考えても、これだけの本数をこなしていって。僕なんかも無理なお願いしたこともあるけど、快く受けてくれるじゃない?
そういうバンドのパワーっていうか、それはどこから来るのかな?って思うんだよね。
ゴヤ:頑張るんですよ(笑)
カーズー:んー。みんな。パーマネントのバンドっていうか、こんなまとまった活動ができるバンド、できてなかったんですよ。
やりたい気持ちはあるけど、それが叶わなかった。
ゴヤ:・・・そうだね。
カーズー:僕も20代の頃からコピーバンドとかは、ちょこちょこやっていたけど、今みたいに自分で曲作って、バーンって、できてなかったから。
やりたかったけど、もう諦めかけてたから。
そんな中で、できる環境もらったんだから、もう止まることはない。
ゴヤ:確かにね!走るしかないよね。
アユム:みんな昼間仕事して。週末休みで、夜空いてる。とかだったら、できないことはないってので続けていけてるんだと思うんだけど。
カーズー:物理的な話ね・・・。
アユム:すごいのが、ライブ本数多すぎて、やりたくないって言い出すメンバーが一人もいない。ってのもあるかもしれないっすね。活動に制限かかんなかったってのは。
ゴヤ:去年は流石になりかけたかなぁ・・・。でもライブなくなったら無くなったで。週末何してたかなぁ?って。寂しいので。
結局飲みにいったり、ライブハウス行ったりだから何も変わらないんですよね。あはは(笑)
コロナ禍で活動を続ける理由はたくさんあったけど、辞める理由はひとつもなかった。
いっちょむ:今の話で質問の続きなんですけど。ワンチャイはコロナ禍でも活動をやめなかったじゃないですか?
その理由というか、そこをきいても良いですか?
カーズー:まず。やめる理由にはならなかった。あれで活動を止めようとは1ミリも思わなかった。
アユム:もちろん、バンドメンバーで話し合ったことはありましたけど。
ゴヤ:続ける理由はたくさんあったけど、辞める理由はひとつもなかった。
アユム:(メンバーは)小さい子供が家族にいなかったりとか。高齢者と同居しているわけでもなかったし、仕事上の制限もなかったし、やればやれたってのはありましたね。
カーズー:やめたいって人はいなかった。
ゴヤ:一人でもいたら止めてたと思うけど。それはなかった。
ウッチー:僕なんかはABD(那覇・久米のライブバー)オープンして、すぐコロナ禍だから。
バンド形態のブッキングは難しくて。
その中でもワンチャイに相談したら、『やりますよ!』って受けてくれて。
ワンマンライブやってくれたんだよねー。
一同:やりましたねー。
ウッチー:ABDはライブイベント入れないと成り立たない店だから・・・
なんかできないかな?って相談したら、『ワンマンやりましょー!』って言ってくれて。
あの時はすっごい嬉しかったから。
ショーゴ:お酒も飲めるしね。
ゴヤ:俺が寂しがりだから人と会いたいからね。
ウッチー:そういうのがすごく、救いになってくれたし、その後のABDの人の繋がりを作ってくれたのがワンチャイコネクション。
カーズー:あとはね。精神性をものすごく大事にしてるんですよ、これでも。
バンドの歌詞は意味不明って言われるけど(笑)。
活動を止めることはポリシーに反するということだったんですよ。
アユム:俺も止まることは怖かった。
カーズー:ライブを続けることで、悪く言われることもあったから、とりあえず、悪く言われるような素行はしないようにした。
当時居酒屋ってのはもう『悪』だったから、行くのやめようって。
ショーゴ:ライブをするために、避けるようにしたね。
ゴヤ:俺は行っちゃったけどね(笑)。寂しがりやさんだから。
カーズー:下田さんと二人で『がんこ(那覇市寄宮の居酒屋)』に行ってたよね(笑)。
人恋しくて。
この二人はもうしょうがない。
ウッチー:さっき桜坂劇場でサニーデイ・サービスのドキュメンタリー映画観てきてさぁ。
その中でコロナ禍のことが出てくるんだけど、当時のこと思い出したら涙出てきちゃって・・・。
すげーヘビーだったなぁって。大変な時期だったよなぁって。
カーズー:まあ、みんな考えた上で、ああなったとは思うんですけど。
ちょっとおかしくなってたとは思いますよ。
俺たちがABDでライブやった時の映像が出回った時に。誰かわからないんだけど、
『マスクもしないでライブやって・・・僕たちは我慢してるのに』って言われて。
それってちょっと違くないか?って。
アユム:いろんな意見が出てきて、結構極端な方に寄ってたじゃないですか?
カーズー:あん時はもう、叩かれても別にいいやって思ってた。
アユム:配信ライブもチャレンジしたね。
カーズー:配信ライブもいっぱいやりましたけど。もう二度とやりたくないって・・・やるたびに。
ショーゴ:ねー。スタジオでみんなの気分が沈んでるの。
辛かったねぇ。難しかったよね。
カーズー:お客さんだーれもいないなかで。
あん時、でも、ありがたかったのは、県外のミュージシャンの人とやった時に仲良くなった(県外のミュージシャンの)ファンの人たちが配信ライブ観にきてくれてたりとかっていうのも結構救いにはなりましたね。
ショーゴ:確かに・・・
ーここまででロングインタビュー前半終了!
次回公開の後半では、総勢20組ものバンドを集めての完全無料ライブサーキット・超来来謝謝(スーパーライライシェーシェー)について、ワンチャイコネクションの熱い思いの丈を存分に語ってもらいました。どうぞお楽しみに!
ワンチャイコネクション
Vo&Guitar/世界のGOYA、Guitar&Vo/カーズー、Bass/ショーゴ、Drums/アユム公式HP
https://shiitami.abd-records.com/インタビュアー:いっちょむ
写真:うっちー
Owner’s Interview
お店紹介『SSB(所作バー)』
今回のワンチャイコネクションのインタビューに協力してくださった、『SSB(所作バー)』のオーナー、所作さんとワンチャイメンバーに、那覇ロックシーンの重要拠点の一つとも言える所作バーについて語っていただきました。
オーナー所作さんの人柄が存分すぎるほど伝わってくる貴重な?対談を是非お楽しみください。
試着室5個分でやってました。それが最初の店舗。
うっちー:今日はインタビュー協力ありがとうございました。
所作:こちらこそありがとうございました。
うっちー:ワンチャイコネクションの発祥にもなった所作バーですが、まずは昔の旧所作バーは何年ぐらいからやってたんすか?
ショーゴ:前島から。
うっちー:あ、前島が最初?
最初の前島って何年からだったの?
所作:何年?うーん。2007年の7月の7月7日、スリーセブンで。
うっちー:2007年の7月の7月7日、スリーセブンで・・・ちょっとヤンキーっぽい感じ?
験担ぎの具合が。
その頃ってどんなだったんですか。こういう(ロックバーな)雰囲気?
所作:最初そんなロックじゃなかった。
最初結構普通にロックはかかってたけど、なんかメイド服が飾ってあったりとか、もうメイド服あって野球のユニフォームがあって、フィギュアがいっぱいあった。
ショーゴ:しかもちっちゃかったんでしょ。
所作:6坪くらい?ここより全然狭い。
なんか最初に所作バーをやった場所の、(所作バーになる)前のお店の名前が『六坪』で、、、坪数全然わかんないけど。
うっちー:僕ね、東京の頃は千駄木ってとこにいて。
『五坪』って焼き肉屋があって、、、、
所作:やっぱあるんだよ、やっぱあるんだ。(笑)
うっちー:だから大体広さはわかる。
所作:6坪って、あれ試着室5つ分ぐらいだ。
ショーゴ:わかりにくい。(笑)
所作:試着室5つ分ぐらい。ユニクロとかのね。
一同:なるほど。(笑)
所作:試着室5個分でやってました。それが最初の店舗。
ゴーパチ(国道58号)沿いで。沖縄を代表する国道沿いに面してるから。
うんそれで、めちゃくちゃ客が集まりそうなのに、ゴーパチから通路を入って20mぐらい進まないとお店に入れない。
うっちー:20m?
ショーゴ:それが命取りだよやっぱ。
ゴヤ:いや違うよ絶対お前の暗さだよ。アハハ。
所作:いや違う違う、絶対そうじゃない。(笑)
追い出されて、1年ぐらいさまよって、
んで、開南にたどり着いたと。
うっちー:その頃はお客さん的には今みたいな、ワンチャイみたいなロックバンドとか多かったんですか。
所作:いや、そんな多くなかったっすね。野球馬鹿と・・・
うっちー:ヨセさん!(ヨセさんは今も常連の野球バカ)
所作:野球馬鹿が多くて。
うっちー:ヨセすじが。(笑)
所作:ヨセすじが多かった、ヨセすじが。(笑)
うっちー:それで、そこが(最初の所作バーが)どうなったんですか。
所作:そこが取り壊しになるっつって。はい。あの出ていってくれと。ものすごく奥に入っているところに店やったから、通路がさっき言った通り、ちょっと長くて、もう目立たないから、目立つようにペンキを塗りまくって、すげえ派手にしたの。
うっちー:うんうん。
所作:そしたらめちゃくちゃ大家と喧嘩になって。うん、めちゃくちゃ追い出された。
ショーゴ:めちゃくちゃ追い出された。(笑)
カーズー:まあ俺が大家でも追い出すよね。器物破損だもの。(笑)
所作:建物を壊すから出て行ってくれと。
ショーゴ:こんなやつがいるくらいなら壊すと。(笑)
所作:でも、大家さん今も壊さなくて、今は何とか化粧品があるんだもん。
ショーゴ:ああ、あるんだまだ。
所作:うん。壊すからて言われて。もう大家さん怒って。
うっちー:あぁ、それで追い出されて開南の八百屋のほとりにたどり着いて。
所作:追い出されて、1年ぐらいさまよって、んで開南にたどり着いたと。
開南で、いや八百屋のほとりで。
うっちー:八百屋のほとりでは何年やったの?
所作:開南は、6年ぐらい?
うっちー:結構長いんだ。
所作:長い。一応2007年スタートで、開南が多分2012年から11年ぐらいスタートなはず。前島時代は5年ぐらいしかなかった。
もう完全に木造の八百屋のほとりでやってるような店でライブフェス。なんの防音もないのに。
うっちー:僕は知り合ったのがもう割と(開南の所作バー)閉店間際の1年ぐらいだからね
所作:あぁ、そうかもしれない。うっちーさんが来て、まだABDが無い頃。
うっちー:あー、そっか。そうだよね。
所作:そう、なんかクダをまきながら飲んでた。
うっちー:(笑)俺はクダはまいてないよ。
所作:いや、まいてた!
一同:爆笑
所作:この人は、なんか怒ってる人だなって。
音楽にも、世の中にも怒ってる。(笑)
で、面白い人きたなって思って。
うっちー:いやいや、俺は主に、エアコンがないことに(暑くて)怒ってたんだよ。
所作:壊れたからね。
一同:爆笑
うっちー:誰かからもらった扇風機1個しかなかったんだよ?
ショーゴ:俺があげたやつ。
うっちー:そう。ショーゴからもらった扇風機一発でやってることに俺は腹を立てたんだよ。
ショーゴ:あったなあ、BIGワンで買った扇風機。
いや、誰か他の人も寄贈すんだろうと思って家庭用の小さいのあげたら、これ(1台)だけが首振ってて。
もう地獄だなこの店!って思って。換気も悪いのに。
アユム:外のが涼しいからね。
うっちー:あの閉店間際の頃にライブフェスみたいのやってたじゃん?
俺、そこで初めて、ミルクキ(Milk&Cookie・沖縄のバンド)とか、offseason(沖縄のバンド)もそうだし、Owl gall(沖縄のバンド)もそうだよね?
初めて(ライブを)みたわけよ。
もう完全に木造の八百屋のほとりでやってるような店で。なんの防音もないのに。
所作:ないのに。
うっちー:爆音でやってたじゃない?
大丈夫なのかこれ?!っていう、カルチャーショックをうけた。
一同:(笑)
実は重大な発表があります!なんと、所作バー、閉店します!
うっちー:これが那覇か、やばいなあ!期待しかないなあって。那覇来たばっかりだったから。
期待しかないなあって思ってたら、あっという間になくなっちゃって。(笑)
所作:あー。あれ、うっちーさん来たばっかの頃だ。
うっちー:そう、あっという間になくなっちゃって。
それが後日、所作がヤケクソでやってたイベントだったってのがわかるんだけど。
所作:そう。もう、どうとでもなれ。だから。
ショーゴ:どうともならなかったんだけどね。
カーズー:あれ超怖かったですよ。もう床もベコベコして、抜けちゃう?って。
一同:まあ楽しかったけどね。(笑)
うっちー:あれが、立退になったのは何年だった?
所作:2019年の10月くらいに完全撤退かな?
夏に立退が決まって、片付けとかしながら、もうあんまり開けてなかったんですよ。
ショーゴ:イベントの時だけ開けたりとかで。
カーズー:(所作が)『カーズー、実は重大な発表があります!なんと、所作バー、閉店します!』っつって。(笑)
一同:(笑)(拍手)
ゴヤ:閉めるんだよね。って聞いた時、まず第一声「よかったじゃん!」って言ったもの俺。(笑)
うっちー:ワンチャイコネクションは、開南時代に所作バーに行くようになったの?
ショーゴ:開南時代から。前島の頃は俺行ってないんだよ。
カーズー:俺は下田さん達に連れてきてもらったの。前島にある時からアッチ面白いよって聞いてたから行こうとしたんだけど、もうなくなってて。
※ゴヤくんは野球バカのヨセさんの後輩として、初代前島も行ったことがあるとのこと。
ゴヤ:(初代前島の所作バーに初めてきた時)ヨセさんが、めっちゃ面白い店あるから行こうぜって、で連れてこられて。
・・・暗いんですよ。
所作:暗かった??
ゴヤ:めっちゃ暗かったよ!ずっとパソコンいじってて。『はい、いらっしゃーい』って。タバコ吸って、烏龍茶飲んで。会話がないんですよ。
ヨセさんが、なんか話しかけても、『あー、そんなんですかー』って。
感情はないのかこいつは?!って。(笑)
で、一年くらいブランクあった後に開南の所作バーができて、またヨセさんに誘われて。
『あー、またアイツ(暗い所作)いんのかー』って、あんまり乗り気じゃなかったんですよ。
で、行ってみたら。
(暗かった所作が、大声で)『あいきたぁーっ!!!』ってなってて。(笑)
一同:爆笑
ショーゴ:場所が変わって、テンションも変わったんだ。(笑)
別人のようになってた。
階段だけになっちゃって最期。
うっちー:そんな、みんなの憩いの場だった所作バーがなくなっちゃうわけじゃないですか。
所作:ABDできる一年前くらいだから2019年の10月くらいに。
うっちー:んで階段だけになっちゃって最期。(笑)
一同:あはは(笑)あれね。
所作:とりこわして、階段だけ綺麗に残って。
ゴヤ:あれ狙ってたんじゃない?階段だけ残しとこうぜって。
ショーゴ:みんなこの前で写真撮れるでしょ?って。
一同:あはは(笑)
プレステが壊れたから再開したのが『SSB(新所作バー)』です!
うっちー:あのあとで、所作くん連絡つかなくなっちゃって。
ABDの雑居ビルで空きがでたから、所作が物件探してると思ってメールしたけど返信なくって。
所作:(メール)くれた!返してないの。
うっちー:それで、心配になるじゃない?んで生存確認した。カーズーとかにしたよね?
物件のことで連絡取りたいんだけど、アイツ大丈夫なのかな?って。
そしたら(カーズーが)『いや、いいっすよ放っとけば』くらいでさ。(笑)
カーズー:放っといて欲しかったんでしょ?
うっちー:で、その間何やってたんですか?
ショーゴ:ドラクエでしょ?
所作:いや、バイオハザード。ほぼ全てやった。龍が如くも全部やった。で全てトロコンするという奇跡が起きた。
※トロコンとは、「トロフィーのコンプリート」の略であり、ビデオゲームにおいてプレイ状況に応じて付与されるトロフィーをすべて獲得すること、あるいは獲得した状態のことである。 やり込み要素の完全網羅、という意味で用いられる。
ショーゴ:あー、トロコンは大事だよね。
うっちー:それに熱中してて、暖かい先輩からの言葉を無視。
所作:あはは。(笑)
ショーゴ:もうトロコンのが大事だもんな?
所作:トロコン大事。(笑)
ゴヤ:大事っすよじゃねえよ!
うっちー:最低だよ。
ショーゴ:それが所作という漢の生き様だからなぁ。
所作:プレステも壊れて、そのデータも全部消えたんで。じゃあ所作バーを再開するかなと。
一同:(笑)
ショーゴ:プレステが一番、二番目がお客?
所作:プレステが壊れたから再開したのが『SSB(新所作バー)』です!
ーと、こんな感じで賑やかに夜は更けていきました。
夜な夜な多くの『所作ファン』が集まるSSB。那覇にお越しの際には是非訪ねてみてください。
オーナー所作さんの揺るぎない音楽愛。夜な夜なSSBに集う楽しすぎる面々。沖縄ローカルを最も感じられる最高なロックバーですよー!!
『まーた今夜ぁーーーーっ!!!』
インタビュアー:うっちー
写真提供:カーズー
『SSB(所作バー)』
那覇市壺屋・農連市場付近(詳細非公開)
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2023/07/30 Owl gall@超来来謝謝(桜坂セントラル)
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フォトギャラリー・BUMBA@超来来謝謝
2023/07/30 BUMBA@超来来謝謝(OUTPUT)
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2023/07/30 煖臍(ダンセイ)@超来来謝謝(桜坂セントラル)
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2023/07/30 HOME@超来来謝謝(OUTPUT)
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次号予告
次号、沖縄地下音楽VOL.2は2023年10月1日リリース予定です。
・ライブレポート『メカルジン』byいっちょむ
・ライブレポート『ワンチャイコネクション@よさこいソニック』byいっちょむ 他
・インタビュー『ワンチャイコネクション』後編
・いっちょむ漫画
・超来来謝謝PHOTOギャラリー
など盛り沢山でお贈りしますので、お楽しみにー!